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富士信仰を支えた御師と御師住宅

富士山は昔から信仰登山の対象でした。そんな信仰登山を支えていたのが、御師(おし※1)と呼ばれる人々。御師は、御師住宅と呼ばれる自宅に登拝者を宿泊させ便宜をはかり、また神仏との仲立ちもつとめたそうです。ここでは、旧外川家住宅を中心に御師住宅を解説します。
(和風住宅2014年版(2013年12月発行)に掲載)

※1 御師(おし)住宅:御師と呼ばれる参拝者の世話人が営む宿のこと

東西に長い敷地

関東からの富士登拝者(道者)は甲州道中をたどり、大月宿から富士山北面の吉田口に着きます。ここで御師の家に宿泊し、翌日に浅間神社に参拝の後、富士登山へと踏み出します。

御師住宅に入るには東西に長いタツミチをたどる必要があります(本御師の場合)。その地割の特徴から御師住宅の敷地は東西に長いものが多いそう。建物は敷地の奥に位置し、そこまでのアプローチはタツミチと呼ばれていました。その由来は龍のように長いからだとも、出立(しゅったつ)する道だからともいわれています。

また、そのタツミチの途中には、ヤーナ川(間の川)と呼ばれる川(水路)が流れています。そこに小さな滝がつくられ、宿泊する富士講(※2)の人々が、到着や出発の際に水垢離(みずごり※3)をおこなう禊(みそぎ)場となっていたようです。

※2 富士講:富士を霊山として登拝する信仰組織
※3 水垢離(みずごり):神仏に祈願する際、冷水を浴びる行為のこと

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入口から主屋までは、タツミチと呼ばれる
長いアプローチがあります。

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旧外川家の住宅間取り図

宿泊者の増加により、離座敷を増築

御師住宅への出入口は3つあります。式台玄関と中の口、そして勝手口。式台玄関は富士講の先達や御師・村長などに限られていたそうです。家族や日常の客は中の口から、御用聞き・使用人は勝手口から出入りするという使い分けでした。

この旧外川家住宅は主屋の奥に離座敷が増築されています。宿泊者の増加に対応したものですが、御師住宅のすべてが必ずしもこのような間取りになっているわけではありません。切妻屋根の板葺(かつては石置き屋根でしたが、現在は鉄板葺)で、離座敷は梁間4間半×桁行6間(約27畳)と主屋よりも大きいつくりとなっています。この離座敷は主屋建造の数十年後の江戸時代後期に増築され、その後、改築・修理を行っています。当時、増築が必要とされるほど、富士講が盛んだったことを物語っています。

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旧外川家の下段の間から。右手に一段高い上段の間と
御神前が続いています。

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主屋から離座敷を見たところ。
離座敷は後に増築されています。

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旧外川家の御神前。御師住宅には奥まった場所に
必ず神殿のある御神前が用意されていたそう。

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上吉田の金鳥居から見た富士山。
最盛期には、この参道の両側に約80軒の
御師住宅があったそう。

旧外川家住宅
旧外川家の主屋は、1768年の建造。上吉田の御師住宅の中でもこの時代まで遡るものは少ない。現在一般公開されている。
https://www.fy-museum.jp/info/28
所在地 山梨県富士吉田市上吉田3丁目14-8
観覧料 大人100円

(写真/志和達彦)

御師住宅は「和風住宅2014」(2013年12月発行)に掲載しています。巻頭特集は「日本文化と富士山」。和の伝統を生かした建築家の住宅事例をはじめ、地域の工務店の住宅事例を多数掲載。また、和風住宅の基礎知識も充実しています。ぜひご覧ください!




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